2024年1月5日放送分

『今夜のチルスポット』

今回ご紹介するチルスポットは、和歌山県田辺市神子浜にある『神楽神社』です。

今年の初詣で初めに行った場所で、この場所の歴史を調べるととても興味深い場所だということがわかり、自分なりにまとめてみたものをご紹介させて頂きます。

神楽神社は神子浜、文里、東山の土地を守る産土神です。出来たのは奈良時代で、何と775年。1200年以上の歴史のある、由緒正しい神社。

江戸時代には大梵天王社と呼ばれていて、地元の方々から「梵天」さんと親しまれていた。

地元の方々の信仰も篤く、境内は広くて、本殿も大きな建物だったそうです。そして当時はなんと、東西南北四方に鳥居も建っていたらしいです。

明治時代に入り、名前が変わって神楽神社になった。この時、神仏分離、神仏合祀という政策が執られた。これは、神道と仏教の信仰を分けようという動きで、神様と仏様を別々に切り離して、街にいっぱいある神社を一回整理してまとめようという事で、それに伴って、神楽神社に祀られる神様も変わったそう。

ここで神楽神社の特にまつわる興味深いポイント

①実は資料によると御神体の中の一つが「不詳」とされていて、一体何の神様が祀られているのか分からない、謎要素のある場所でもあります。

これは明治時代の動きが関わっていて、もともと祀られていた仏さんから神道系の神様に変わり、地域にあった小さい神社を無くして一ヶ所にまとめてからの資料がないということがこの謎要素に繋がっているようです。

もしこのラジオをお聞きの方で、神楽神社にまつわるお話があれば是非メッセージで教えてください。

②田辺の偉人としてお馴染みの博物学者「南方熊楠」との関わりもある場所ー熊楠さんは田辺市内のあらゆる場所で植物の採取活動を行われていたらしいのですが、昔神楽神社の近くにはため池があって、そこで珍しい種類の藻を見つけたということで、それを記念する石碑が神社の境内に建っています。

熊楠さんの書き残した書簡にも度々出てくる神楽神社。その資料によると「此辺絶景の地なり」とも書かれています。この神楽神社、隣にある日吉神社が挟むように聳える山は当時、草木が多い茂っていて、珍しい植物もたくさんある、とも書き残されています。豊かな自然がそこに残されていて、もしかしたら熊楠さんのお気に入りスポットだったのかもしれません。

そして、神楽神社と南方熊楠が関係するもう一つの大きなキーワード、それが度々出てくる「神仏分離」「神仏合祀」です。

和歌山の場合は、神道の他にも修験道や仏教の他の宗教が混ざり合って、独自の信仰スタイルが築かれていました。なので神社と言っても、神様と仏様が一緒に祀られている場所がたくさんあったのです。今は世界遺産として登録されている「熊野古道」ですが、その参詣道には「王子」と呼ばれる、熊野三山につながる道中にお参りをする場所がたくさんあり、明治以前まで残されていました。

ですが、当時の新聞『大阪毎日』の記事によると、明治43年には和歌山県下でおよそ8割の神社が失われました。王子でさえも、一つの町に一つの神社というルールに則って、無くなってしまった歴史があります。

南方熊楠は、この政策に対して反対の立場でした。熊楠さんが残した写真の裏側にはメモが残されてあり、「たくさんあった神社が取り壊され、そしてその周りの木々も伐採され尽くしてしまった」と書かれています。熊楠さんは自然保護の観点、その地で代々受け継がれて、長い年月をかけて育て上げられた文化が失われるという危機感から、この神仏分離、神仏合祀を反対する立場だったと考えています。

そしていろんな学者さんや政治家に協力をお願いするために手紙を送り、この反対運動を起こしたのが南方熊楠さんでした。

そんな色んな歴史を経て、今も残されている数限りある神社の一つが「神楽神社」なのです。

昔は「梵天さん」と親しまれ、南方熊楠さんとの関わりの深い、歴史とロマンある神楽神社を一度訪れてみるのはいかがでしょうか?

以上、今夜のチルスポットでした。